水無瀬神宮

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『水無瀬駒』

島本町指定文化財

水無瀬駒
水無瀬駒について
説明
水無瀬神宮の13代目の宮司を務める水無瀬兼成(みなせかねなり)は、安土桃山時代の公家で、能筆家であった彼は駒の銘を書き、89歳で亡くなるまでに700組以上もの将棋駒を制作しています。
将棋駒の先が細く薄く、手前が肉厚幅広な形は兼成が確立させ、以後、高級な駒の形はこれに倣っています。また、江戸時代には、「将棋駒の銘は水無瀬家の筆を以って宝とす。この筆跡の駒、免許なきもの弄すべからず」とまで言われ美術的価値が高いものとして重宝されました。
譲渡先には後陽成天皇(ごようぜいてんのう)や正親町上皇(おおぎまちじょうこう)、関白豊臣秀次(とよとみひでつぐ)、室町幕府15代将軍 足利義昭(あしかがよしあき)など、公家、大名、高名な武将が挙げられ、徳川家康(とくがわいえやす)には53組もの駒が納められました。
当時の天皇や公家、武将などや、僧侶・神職や商人、大工棟梁たちなど、依頼主が身分的に、また、地域的にも広範囲な層にわたって重要視されていたことがわかります。

水無瀬駒

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